アニメとアニメーション

アニメとアニメーションという言葉の違いについて、なみきたかし氏は以下のように説明しているが、これはちょっと一面的な見方という気がする。

――それがやがて作品もアニメーションと呼ばれるようになる。
なみき 「アニメージュ」(78年創刊)など、専門誌の登場によるところが大きいと思います。若者の心を引くには、漫画映画という呼び方では駄目だったんでしょうね。最初は単に略語として、アニメという言葉が広がりました。ところがテレビ作品の登場で、従来とは別の方法でアニメーションが作られるようになります。
――別の方法?
なみき 省力化のために作画枚数を減らし、絵が止まっていても成立するようにしたんです。以来、多くのテレビ作品は、動きを単純化することで喜怒哀楽を記号化してきました。怒ると血管が浮かび上がって、青ざめると顔に縦線が走る。テレビ作品の劇場版も同じ手法でやっています。これに対し、原義でもある「命を吹き込む」に従い、動きを省略せずに描き込むという漫画映画の伝統を引き継ぐのがアニメーション。現在のスタジオジブリ作品に代表される手法です。キャラクターごとに動きの個性を与え、集団描写も均一にしない。それによって、実際にキャラクターが生きているように感じるわけです。

なみき氏は“動きを省略せずに描き込むという漫画映画の伝統を引き継ぐのがアニメーション”それ以外の、テレビアニメなどでよく用いられる“省力化のために作画枚数を減らし、絵が止まっていても成立するようにした”ものをアニメとしているようだ。似たような区別にフルアニメとリミテッドアニメという言葉がある。これを読んで自分も頭が混乱しそうになったので、まずフルアニメとリミテッドアニメの違いをメモしておく。

  • 動いているものはちゃんと絵に描いて動かそうというのがフルアニメ。映画のフィルムというのは1秒間24コマでできているから*1、最高に緻密に動かそうと思ったら川の流れなんかは毎秒24枚違う絵でおこしていくことになる。絵をフィルムに撮影する際に、同じ絵を3コマづつ撮ってもフルアニメーション。この場合1秒間に描く絵は8枚で済むので、省力化しつつ1枚のクオリティを上げられるというメリットがある。また、動いていたクルマが停車したカットで静止しているクルマを何枚も作画しても意味が無い。こうした場合は止まっている間、同じ絵を何コマも撮影する。これも一見楽をしているように思えるけれどフルアニメーションに入れていいと思う。
  • 対してリミテッドアニメは動かす部分を最小限に抑えようという考え方。キャラクターが会話をしているときに口だけが動くいわゆる「口パク」などが判りやすい例。この場合口以外のキャラクターは1枚だけ描いて、口の開け閉めのパターンの絵を数枚描くことになる。これを会話カットの長さにあわせて繰り返し撮影する。本当は口以外の顔の表情や仕草だって動きがあるはずだけど、必要に応じてこれを省略するのがリミテッドアニメ。同じ会話シーンでも、往年のディズニーが作ったようなフルアニメなら顔の輪郭や表情も全部絵に描くし、発声にあわせて口の形状もいちいち絵にする(リップシンクという手法)。他にも主人公とヒロインが街の雑踏を並んで歩くようなシーンで、フルアニメなら画面内に写りこむ他の通行人の全てに演技をつけるけれど、リミテッドアニメで通行人を動かすことは極力避ける。これは単に動かさないというだけではなく、カメラアングルで写さないとか背景美術で雰囲気を出すなど手法は様々編み出されている。リミテッドアニメの説明として『1秒間に24枚の動画枚数を、12枚や8枚に省略したもの』とする場合があるけどこれは間違い。極端な話1秒間に24枚の動画を描いてキャラの髪をなびかせたけど、画面内の他の部分の動きは省略したリミテッドアニメなんてのも作れる。画面内の何を動かして何を動かさないか、区別して絵に描くのがリミテッドアニメの本質。

以上を踏まえた上で読み返すと、なみき氏の言う“動きを省略せずに描き込むという漫画映画の伝統を引き継ぐのがアニメーション”という言葉は非常に恣意的に用いられているといわざるを得ない(インタビュー記事だから、端折られた部分でちゃんと説明していたのかもしれないけどね)。ジブリ作品やりんたろう監督の「メトロポリス」は、確かにふんだんに作画枚数を使い、群集が沢山写りこむようなロングショットでも動きをおろそかにせず、3DCGまで取り込んで映像の動きの密度を高めた、最高レベルのアニメ作品だ。しかしこうした作品を支えているのは、制作スタッフがこれまでリミテッドアニメで培ってきた、作画の“タイミング”や“レイアウト”、視覚に訴える効果的な演出といった数々の手法であるはずだ。これらの中には、リミテッドアニメの制約の中で育まれ洗練されてきたという側面もある。ここにフルアニメ的な作画が加わっただけで、「アニメ」と「アニメーション」をわけようとするのはあまりに乱暴な話だろう。むしろインタビューの次の発言のほうが真意だと思いたい。

――量産のためにアニメとアニメーションが別のものになった。
なみき 僕はこう考えています。アニメーションという大枠があって、アニメやクレイ(粘土)アニメがある。もっと言えば、実写もアニメーションの一ジャンルだと思っています。アルタミラの洞窟壁画を映画の起源だという人もいますが、人が描いているという意味ではむしろアニメーションの起源ではありませんか。

このアニメーションという大枠の中に、フルアニメもリミテッドも漫画映画もフルアニメ的なリミテッドアニメも全部入っちゃうじゃない。テレビアニメのコスト削減のために乱用されたリミテッドアニメのイメージが悪いのはわかるけど、テレビアニメ以前の贅沢な作りの漫画映画と最先端の大作アニメを結びつけるために、無理にアニメーションという言葉に変な色付けをする必要は無い。

*1:最近はCGで処理するので必ずしもフィルムのコマ数に拘る必要はないけど、わかりやすくするため24コマで説明する。