「世界の中心で、愛をさけぶ」2004年/日本/138分

てなわけで観たのはこれ。やけに女性客が多い、つか自分以外男性客いない? と思ったら今日水曜日はこの劇場はレディースデイで千円なのでした。エンディングで流れる平井堅の「瞳をとじてASIN:B0001M6GNC は良い曲だねえ、カラオケ用に練習しよー。以上!
……で、終われればある意味幸せなのだが。少しは言わせてもらわないと千七百円払った元が取れない気がする(w。以下ネタバレ必至ですのでご注意。

僕は監督の行定勲氏のファンで、彼の作品は概ね好きで見ている。雑誌やテレビ番組での監督の発言も結構気にして聞いている。彼は現代文学作品に映画の原作を求めることが多く、「GO」の興行的成功で青春小説の映画化のオファーが来ているだろうことは想像がついた。それでも「世界の中心で、愛をさけぶ」のメガホンを取ると聞いた時は耳を疑った。そのとき僕は原作を未読で(実は今も書店で軽く立ち読みしただけだけど)、浅薄な恋愛マニュアル小説かなにかだろうと思っていたからだ。タイトルの「世界の中心で、愛をさけぶ」に対して、SFマインドも無いくせに既存作品タイトルの語感のいいところだけ上手く使いやがって……みたいな反感もあったかもしれない*1。また曇天の空の写真をあしらった装丁がファッションで文芸書を買いそうな層にアピールしそうな手際の良い物で、それも僕にとっては食指を引っ込める要因になっていた。それでも「文藝」の2004年春号の行定勲インタビューなど読むにつけ、監督の映画製作への態度とこの原作小説に響きあう物があったようだということが感じられてきた。それは、大切な人の死に対して、生きている人間の取り残された気持ちを描くという姿勢だ。
映画「世界の中心で、愛をさけぶ」を観てストレートに伝わるのは、死んだ人間は取り残された人間の中で生きつづける、という単純なメッセージだ。そしてどうして人は大切な人を無くすと苦しむのか、という問いかけが続く。若くして白血病に倒れるアキは死ぬことで自分が忘れ去られることを恐れ、サクは高校時代の初恋の人、アキの死の記憶を抱えながら倍の年齢になる現在も苦しんでいる。大人になったサクの現在の恋人リツコが映画では大きく話しに絡む。彼女の手にする原作には無いカセットテープが、アキの最後のメッセージを現在のサクに伝えるという形で過去と現在が繋がる。嵐の中高校生のアキを“世界の中心”の象徴オーストラリアに連れて行けなかったサクは、同様に台風の最中の空港で現在の恋人リツコを見つけ出し、ついにアキの死から前に踏み出すきっかけを得る。
世界の中心で、愛をさけぶ」というタイトルに対する回答としては、原作よりも映画のほうが良く練られていると思う。リツコの話への絡み方に強引さを感じないわけでもないが、作品の瑕としてあげつらうほどでもないという判断だ。また、幸せな初恋時代を切り取る映像美と、記憶の迷宮を彷徨う現在のサクとリツコを土砂降りの雨で表現する構成も上手い。舞台設定を一九八六年と限定して、当時の世相風俗を盛り込む手つきも八十年代に青春を過ごした世代には訴えかける物がある(渡辺美里ファミリーベーシックのキーボード!)。しかし、あえていうがこの映画に僕は煮え切らない。一つには編集の問題。長すぎる。この内容なら三分の二の尺で十分だと感じる。また、別に映画を観て泣こうとも思わないが、せめて背筋のゾクゾクする映像なりシチュエーションなり台詞なり俳優の表情なり発見できれば良かったのだが、一つも僕の心にふれる部分が無かったのが残念だ。結局、行定監督の演出手法を確認することができたことだけが僕にとっての収穫だった。もっと言うなら、この原作を行定監督以外の人が映画化したなら、おそらく僕はこの幼稚なストーリーに最後まで付き合うことは到底できなかっただろう。さすがは行定勲、と言いたい。
フォローするならアキ役の長澤まさみはスタイルも良く台詞のイントネーションにも引き込まれ、これは売れるだろうと感じさせる。でもグッとこないのは四国でロケをしたという南国の風景の所為だろうか。北国育ちの僕にとって、健康的に日焼けした彼女は、なんだか遠い国の青春を体現しているような気分にさせる。西日本出身で十代の頃にこの映画のような淡い恋愛経験のあるような人なら泣けるのだろうかと、少し寂しい気持ちになったことを付け加えておく。

*1:この話は何度も繰り返されてると思うけど、このタイトルは早川文庫から出ているハーラン・エリスンの短編集「世界の中心で愛を叫んだけもの」から着想を得ている(担当編集者がつけたとの由)。テレビ番組「新世紀エヴァンゲリオン」の最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」も同様だが、庵野監督がアニメ作品の最終話で既存SF作品のタイトルパロディをやるのはSF者にとってはお約束なのでこれはイイのだ!(「トップをねらえ!」では二話連続の最終エピソードは「愛に時間を」(ハインライン)と「果しなき流れの果に」(小松左京)から。「ふしぎの海のナディア」の最終話は「星を継ぐもの」(ホーガン)。エヴァテレビ版は前述のとおりだが映画版のサブタイトル「まごころを、君に」もダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」の映画邦題からとっている。)