「イノセンス(INNOCENCE)」(2ループ目)

渋谷に出て、ライブ当日券の抽選発表まで時間があったので、シネフロントで「イノセンス」2回目。本当は「王の帰還」を見たかったけど時間が合わなかった。で、気づいたこと。映り込みの続き。

イノセンス冒頭の球体関節人形の瞳に映し出される映像。押井守がこの映画であらわしたかった全てがそこにあります。押井さんによればそれは劇場の大スクリーンでみてどうにか判別できるくらい、それも10回みて1%の人がようやくわかるくらい、そのくらいの小さな映像なのだそうです。」
TKM Journal(3月7日) http://blog.main.jp/tkm/archives/000313.html

映画を最初に観たときになにかが映りこんでいることはわかった。その後この記事を読んで、今回は目を皿のようにして見ていた。んー確かに映ってる。バセットハウンドは確認できた。ほかにも何か……というとこでカットが切り替わった。うー、犬? やっぱり犬? でもなに? と腑に落ちないながらも映画に没入する。晦渋な引用句も言葉の身体性を奪うという策略の一部と思えばスルーできるので、今度はそれほど気にならない。大和言葉を用いたあの声明のようなBGMとも通じるのかも。ハラウェイ医師のシーンはオレンジ色の色使いが綺麗。献血の採血パックのように密閉されているアンドロイドが美しい。余談だがダナ・ハラウェイの「サイボーグ宣言」もこの映画のネタ元になってるんだろーな。一応ジェンダー論を専攻していた学生時代に読んだ時は、女性が感じる自分の身体を思うままに領有できない苦痛というのがピンとこなかった。今はゴスロリの女の子やピアッシングをしている人を見るとこんな感じかなと思う。ハダリ型アンドロイドが中性的な容姿なのはこの影響なのかな。えーと閑話休題。で、キムの屋敷でのループのあたりで眠くなったりもしつつ、エンディング。トグサの娘の抱きかかえる人形の青い目がクローズアップされ、その視線の先の犬を抱くバトーがラストカットとなる。なんだ、ひょっとしてオープニングのアンドロイドの瞳に映じていた光景はこの映像? 少女の姿をした人形=アンドロイドが人間の男と動物を見つめるという構図がこの映画の全てということでOK? > かんとく。アンドロイドの目に映っていた映像が「バトーと犬」じゃなくて「お土産の人形と犬」とゆー可能性もありかとも思うが……。「トグサの娘と犬」も可(これはハラウェイ医師のセリフを受けてということになるな)。誰か追試してくれ。 (27:50)