「いぬのえいが」 2004年/日/96分

この映画はオムニバス形式をとっており、複数のストーリーが絡み合うように進んでゆく。しかしこの映画の胆はさいごの「ねえ、マリモ」(監督/真田敦)につきるとぼくは思う。それまでのパートだけでも充実感を得ることは出来るが、この映像に一際存在感があるのだ。


(以下あらすじ含む)


「ねえ、マリモ」は、ある家庭に子犬が貰われてきてから、老衰で死ぬまでの時間を描く。涙でスクリーンが見えないと言う形容があるが、まさにそのままに涙ぐんでしまった。映画館でなければ泣いてしまっていたと思う。犬に限らずペットを飼い死なせてしまったことのある人で、この映画に「何も感じない」という人が居たなら、ぼくはその人との縁を切ってもいい。そのくらい心に響いた。
「ねえ、マリモ」ではじまる、真っ暗なスクリーンに浮かぶ白い字のモノローグ。犬とその飼い主の間にある、日常的な出来事を映像は描写する。貰われてきた日、そしてまだ飼い主の少女も犬も幼かった日々。音声は無く、郷愁を誘う弦楽曲がBGMである。モノローグは楽しかったこと、ありふれた出来事を淡々と語ってゆく。飼い主である少女とともに犬のマリモも成長してゆく。「ねえ、どうして」とモノローグは続く。ねえ、どうして私よりも先に大きくなっちゃうの、どうして先におかあさんになっちゃうの、どうしておばあちゃんになっちゃうの。モノローグは徐々に不吉な運命を予感させ、マリモの死でクライマックスを迎える。飼い主の美香はつぶやく「もう、犬なんか飼わない」。
この作品は少女の視点と、飼い犬のマリモの視点からの二パートに別れている。時間は巻き戻され、今度はマリモの視点でモノローグが綴られる。マリモはすでに自身の死を受け入れた立場で美香へ語りかける。悲しまないで、楽しかったよ、と。そして思い出の海を訪れた美香の「マリモ。また犬を飼いたいよ」というモノローグで映像は終わる。
映像と字幕だからこそ、まさになしえた感動であると思う。似た形式の作品としては新海誠監督の短編アニメーション「彼女と彼女の猫」があるが、この作品では猫は狂言まわしに過ぎず「彼女」の心中は類推するしかない。その点、「犬の目線」を真正面からとらえた「ねえ、マリモ」は過ぎ去る時の切なさといとおしさを表現することにおいて優れている。犬とともに生きる時間を知るすべての人に、老若男女問わず見てもらいたい作品だ。