ハウルの動く城、感想メモ

今日は長文を書く体力が無いので、鑑賞後これまでに考えたことをメモしとく。

  • 物語の構造は「千と千尋の神隠し」と同じ。主要キャラクターの配置もほぼ同様。
  • ソフィーにかけられた呪いは、彼女が“我を忘れる”ことによって一時的に軽くなる。この理屈が飲み込めないと、ソフィーの老婆⇔少女の外見の変化に戸惑うかもしれない。
  • ソフィーの少女時代の顔は漫画家の新田真子(しんだ まね)が描く人物の様に見える。これまでの宮崎キャラには無かったライン(特にアゴのリアルさ)。
  • 王蟲ハーモニー”もハウルの城まで進化したかと思うと、CG技術のアニメーションに与える影響に瞠目。
  • アフタヌーン系の漫画家の作品の持つ表現力を借りたような描写が目に付いた。五十嵐大介植芝理一鶴田謙二など。
  • ロングショットになるとキャラクターの目がマルにテンになるのは、ちょいと近藤勝也っぽい。その割りに彼の名が作画監督からはずれてるのも気になる(原画である)。
  • ソフィー変身後と、荒地の魔女の登城時の“肉のたるみ”の表現は作画的に一見の価値有り。
  • 犬のヒンの表情は押井守監督への嫌がらせだろうか。
  • いろいろ言われていた声優はさほど気にならなかった。序盤の倍賞千恵子はちと苦しかったがじき慣れる。ソフィーを一人の役者で演じる意味はある。カルシファーを快演した我集院達也には拍手を贈りたい。ナックスの面々はどこを演じたのやら見当もつかん。でも道民的には嬉しい。
  • 宮崎メカはカンブリア大爆発の影響を受けて邪悪進化を遂げたという感じ(笑)。
  • かかしのカブの落書きのような顔はどこかで見たことがあるのだが……なんだろう?
  • 戦争シーンは断片的なカットばかりでスリル感は少ない。ナウシカ紅の豚の空中戦を期待した向きには物足りない。
  • そういえば鑑賞中、心の中で「インディジョーンズかよ!」とツッコミをいれること数度。でも見終わったあと振り返るとそれほど気にならないような気も……。
  • スタッフロールに遊びが無かったのは寂しい。そのぶん随分短かったけど。
  • 「戦争(反戦)映画」ではないし「ラブロマンス」としては宮崎駿の限界を感じる。やはりこれは「ファンタジー映画」だ。系統としては「ネバーエンディングストーリー」が一番近い。
  • 自分の若さと見栄えを厭う18歳のソフィーが、90歳の外見になることで肩の力が抜けイキイキと輝きだすという現実逃避的で甘やかなファンタジーは、女性心理を深いところで掴みそうだ。老成したい少女というモチーフは須藤真澄の漫画作品に頻出するキャラクターを思い起こさせる。