どついたるねん!な系譜

昨晩は結局はてなダイアリーのエントリーを書くので力尽きて、グラフィックスボードの換装には手をつけられずじまい。どっちの料理ショーを観たあと寝てしまった。今日病院から帰ってきたら、ゆっくり始めることにしよう。
それはともかく、寝る前に下妻物語での土屋アンナのどつきについて考えていた。土屋アンナの愛情表現の裏返し的な切れやすさを表現するために、ことあるごとに深田恭子に頭突きをかましたり、蹴りを食らわしていた繰り返しギャグ。昨日の映画館内では主婦層中心の観客にも受けていて、もちろん僕も笑いながらなにか妙に安心感を覚えていた。憧れの服飾デザイナーと対面して感激のあまり倒れる深田恭子を抱きかかえ、「オメェ! 目からナニ出したんだよ!」とデザイナーに凄む土屋アンナのカット。ここで館内の笑いの堰が切れたと思う。冒頭、軽トラックに轢かれて宙を舞う深田恭子を見た瞬間は、この映画大丈夫かな……? と様子見モードだった観客も、目から……の台詞の後では映画の笑いのツボに自らハマリに行っていた。
でまあ、深田恭子がぶっとばされるカットが何度もインサートされるわけなのですが、これどうも既視感がある。ぶっとんだ瞬間スローモーションになって、のけぞるように着地。これって出崎版あしたのジョーでパンチを受けた瞬間がハーモニー処理(止め絵からイラストになる演出)のアレだよね。ただ、これをそのまま今の世の中に持ってこれるわけは無くて、イメージの引用のためにはそれに適切なデフォルメが必要になる。例えば今年の春に出たLittlewitch美少女ゲームQuartett!」では小柄な少女が長身の主人公を殴り倒すギャグとしてこれが用いられる。

試みにこの「どつかれて空中を舞う」表現の系譜をたどるならこんな感じか。

  1. 出崎統「明日のジョー」のハーモニー処理(オリジナル)
  2. 島本和彦炎の転校生」の滝沢国電パンチ(“熱血”のパロディ表現として)
  3. 同人誌などで「殴られて鼻血をだしながら空中でのけぞる」表現のパターン化
  4. 上記3の表現の商業漫画、商業アニメ、格闘ゲームなどでの濫用
  5. 上記4の表現を目にした人による、劣化コピー表現の普遍化

かろうじて四番目の例まではオリジナル表現の存在が意識されていると思うけど、今はそれとは無関係に殴られたら空中に浮かぶものだというパターン認識で自動的に手が動いている人も多そうだ。こうしたパロディ表現の流れとは無縁そうな昨日の下妻物語の観客が、それでもどつかれて空を舞う深田恭子をギャグとして認識していたことにひっかかりつつも納得したというのがこのエントリーの主題。一つは監督の中島哲也の映像センスが、実写映画の中で肉体を持った俳優に「出崎ハーモニー」を可能ならしめたという事実。それはオリジナルの流れの上に立脚するものでも、劣化コピーでもなく、中島監督自身の作り出した映像の「納得力」に対して観客は笑いを発したことでわかる。この点で中嶋監督は出崎統に並んだと言えなくもない。もう一つ感じたのは、観客のほうに人が空中に浮かぶことへの抵抗感がなくなっているということ。これは漫画やアニメだから許されたドラゴンボールの空中格闘戦をマトリックスリアライズしてしまったことが大きいんだろうと思う(人によっては2D格闘ゲームのフィニッシュブローを思い出すかな)。出崎ハーモニーで人が宙に浮くのは一瞬を切り取ったことに意味のある演出だけど、マトリックス少林サッカーで人が宙に浮くのは、ホントにその時間分宙に浮いている(様に感じられる)。そうした映像に対する視聴者の感受性の変化、文脈を読み取る能力に長けた監督だからこそ成し得た表現だったのだな、と深く納得した次第。よくよく考えてみれば、サッポロ黒ラベルの卓球温泉編でその才能は示されていたんだね。