制服と女子

今日は作業所(仮称:マグナム部屋)で書き物をしていた。半分は掃除などしていたが。帰り道、新札幌から乗ったバスの後ろの座席で女子高生ふたりが話しているのを聞くとはなしに聞いていた。
「もうすぐ制服終わりって悲しくない?」
「そうそう、男子は制服いらないって感じだけど」
「うちらはねー」
「女子はねー」
どうも彼女たちは高校三年生で、年が明けたらもう学校に来ることも少なくて。感傷的になるにはまだ早いけど、なんとなく気分は通じた。好きなかたちのセーラー服を着たいがために、学校を選んだ中学時代の友達の話などに彼女達の会話は続いていった。僕の通っていた高校は私服だったため、学生服を着ていたのは中学校の三年間だけだった。それでも男子には制服を着てやっているという気持ちがあった。特に登下校の際に義務付けられていた学生帽などは大嫌いだった。当時の自分には同世代の女子の気持ちを推し測ることなど到底無理な話。
オトナの男の目として、女子高生の制服には価値があり男子学生の制服には経済的な意味がないということはある。それとバスの中の彼女たちの気持ちは直接リンクはしないだろうが、着る主体として見られることに自覚的なのは明らかに女子のほうなのだろう。制服が「終わる」という表現に、いまは同じ学生として話をしている友達とも春からはそれぞれ別の進路に分かれるという気もちが含まれているようで、ちょっと切なくなった。