平和への誓いは誰の言葉?


今朝はなかなか起き上がることができず、布団の中でNHK第1ラジオで広島平和記念式典の放送を聞いていた。なぜ小学生に「平和への誓い」を読ませるのだろうと今更ながら不思議に思った。僕もあの年頃に作文で平和について書いたことがある。一応世界情勢とか環境破壊とか、それなりに見知っていたからそうした内容にした。でも、切実さなどカケラも持ってなかったし、平和について自分が何かできると考えもしなかった。言ってみれば平気で心にも無いことは書ける訳だ。
今日「平和への誓い」を朗読したコドモの代表にしたって、明日から平和に向けてなにか活動をするというわけでもないだろう。大人に読めといわれたからちゃんと役割をこなしているわけで、本人の心など他人には伺うことはできない。平和教育の成果をカタチにしなきゃならないオトナの、自己満足だよなとぼんやりとしたアタマでそう思った。実際に平和への活動を自分の頭と体で実践している人に語ってもらったほうが、なんぼか説得力がある。
慰霊式、記念式典そのものには行う意味があるとは思うけどね。こうした式典は行うこと自体が大事だから。


平和記念式典(広島市のウェブサイト)