東京堂トークイベント&サイン会「私が「課長」だった頃」

課長

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そんなわけで夜も更けて眠くなってきましたのでイベントについては、ざっくりレポートを。 神保町にある東京堂神田本店で開催された出版記念イベントです。

  • 東京堂は三階までが店舗なのだけど、会場は六階の大会議室でした。
  • 定員は60名だったのかな? パイプ椅子の並べられた会場は八割がた埋まっている感じでした。女性の比率がやはり多かったです。
  • 「私が「課長」だった頃」というタイトル通り、トークの内容はサラリーマン時代のことから。書店側の司会者は最初に穂村さんを紹介しただけで、完全に独り語り状態。
  • 学生時代の就職活動のエピソードから、人事課の課長として今度は採用面接をする立場の話まで。仕事に対して絶対に本気を出さない固い決意が語られました。仕事を八割の状態まで仕上げる労力を100%とすると、それを九割にするには200%の労力が必要という例えは切実。
  • 会社員でも偉くなる人や社長のような立場の人はやっぱり「すごい」人。能力もモチベーションも人間としての度量も抜きん出ている、という発言には深く納得。
  • 「短歌」という表現を選んだのは、自己実現しなければならないという際限の無い強迫観念と、自分のプライドとのせめぎ合いだった、というような話が印象的でした。
  • 実は短歌にかぎらず文章を書くことはそれほど好きじゃないと爆弾発言がw できれば大好きな散歩と買い物だけして生きて行きたいと。そりゃそうだ。
  • 五十分くらい経ったところで、客席の後ろの方を気にする穂村氏。なんと特別ゲストに寺田克也氏が!!
  • そんな訳で、イベント後半は“日本で一番絵の上手い”イラストレーター、寺田克也氏との対談に。長らくサラリーマンとの二足のわらじを履いてきた穂村氏と、学生時代からフリーで活躍してきた寺田氏。主に穂村さんが話をふって、互いの立ち位置を確認すると言った感じ。
  • 前作「車掌」は穂村氏の文に寺田氏が絵をつける形。その時の打ち上げで出た、次は逆パターンで行きましょうという話が実現したのが今回の「課長」なのだとか。
  • スポーツ選手や音楽の演奏者みたいな「プロ」は一部の限られた人にしかなれないもの。その点、表現者という世界はたとえスタートが遅くても間口が広い、という穂村氏。それを受けて、アマチュアで上手い人はいくらでもいるけれど、プロとして社会の中でコミュニケーションを取って行くことは、サラリーマン同様普通に社会人であるという意味では同じこと、という寺田氏。
  • 穂村さんが寺田さんを「成功しちゃった側の人」として、プロになれなかった「寺田ダッシュ」みたいな人達との違いはなにか問うている姿がなぜか可笑しかった。穂村弘も短歌という世界から出てきたスターみたいな印象が(ぼくには)あるだけに。
  • 穂村さんがプロとして最初に貰った原稿料は900円。出版社から短歌を九首依頼されて、この対価なのでいっしゅ100円w
  • そんなこんなで、あまり本ができるまでの制作秘話みたいな話は出てきませんでした。
  • トーク終了後のサイン会には寺田先生も参加。お二人ともファンのぼくにはうれしいサプライズ。穂村さんはサインと一緒に自作の一部を書いてくれました。ぼくは「ハローカップヌードルの海老たち。」 寺田さんはイラストを。本の一章目に出てくるロボットを書いてくれたので、こいつに名前はあるんですかと聞いたら「ホモホモ」ですと答えがw 上手いなあ。

簡単ですがひとまずこんなところで。イベントが終わってしばらくすると神保町は雨が降り出していました。