「私は霊界を見て来た」叢文社 エマニュエル・スウェデンボルグ 今村光一抄訳・編 ISBN:4794700040

タイトルが凄いですよ。30年近く前に出版されたスウェーデンボルグの「霊界著述」の抄訳。僕の手にとったものは出版後6年で32刷を重ねているから、当時かなり売れたのかもしれない。スウェーデンボルグは18世紀のスウェーデンで科学者、実務家として活躍した人物。名前と地名のスウェーデンには直接の関係は無いらしい。人生の後半に霊媒としても名声を高め、各界に影響を与えた。一般にはカントが「視霊者の夢」で取り上げたことで有名かもしれない。少なくとも欧米では「霊界物語」の出口王仁三郎より有名みたいだ(w って笑うところじゃないか。
この本は大衆向けの啓蒙書としてかなり読みやすくしてある。基本的にスウェーデンボルグ氏が霊界で見聞きしたことを語るという形式だから臨場感がある。登場人物が漢文書き下し調でしゃべるのも妙な趣きがあってよい。「われを呼ぶ者、かの河の向こう岸にあるや」とか無駄に美文で格調高い。
既成宗教(キリスト教)を批判しており、罰としての地獄はないと言う。死後三日ほどの準備期間を経て、霊は自らと相性の良い霊同士グループとなり永遠の生を送るのだという。そこには時間の観念は無くただ変化のみがある。キリスト教神秘主義に軸足を置いていると感じられるが、アジア的な輪廻転生の思想と近い部分があるので日本人には理解しやすい。というか日本の新宗教、新新宗教に影響を与えている部分も大だろう。前述の出口王仁三郎しかり、隈本確の日本神霊学研究会しかり。隈本確氏の「大霊界」シリーズは小学生のころ通っていた町立図書館に全巻そろっていた事もあって、読みふけっていたことを思い出した。10歳くらいの年頃って死について一度深く考える時期だから、それなりにシステマチックに説明されていたこの「大霊界」は興味深かった。この時期にスウェーデンボルグに出会ってればハマッたかもしれない。日本への影響に話を戻せば、鈴木大拙が日本には本格的に紹介したそうだし、宮沢賢治も影響を受けていそう。
霊と肉体の関係においてスウェーデンボルグは霊を上位に置いている。生命の本質は霊であり、霊界に発した霊は物質界において人間の肉体を得て完成する。現世において霊は人間の肉体の中に同時に存在している。そこからまた人間の肉体の死という区切りが生じ霊は霊界に帰るが、人間と霊は互いのことを知らず表裏の関係にある。本当は知らないようにできているシステムを「見て来た!」っていうんだからある種ネタバレなわけだが、こう言い切られると妙に安心感があるのも確か。
頭山
ちょっとした脱線話を最後に。スウェーデンボルグの著作に影響を受けているともされる一人、カントの言ってることの一つに「第3アンチノミー」てのがある。アンチノミーというのは二律背反という意味。「純粋理性批判」って本にある奴ですね。

正命題:世界は自然法則に還元できない。自由が存在する。
反対命題:世界は自然法則に還元できる。自由が存在しない。

この二つが両方とも妥当性を持っているから二律背反となる。ものすごく乱暴にたとえ話をすると、いま僕がこの日記のエントリーを書いている原因を説明するのに二つの方法がある。一つは本を読んで感銘を受け、これを日記に書きたいと考えたという「心」や「意思」から説明する方法。もう一つは、肉体として存在する僕の脳から発した情報伝達が筋肉に伝えられ指がキーを叩く、そうした諸々が総体としてネットに日記を書くという現象を起こしているする「自然法則」から説明する方法。カントはこうした二律背反は解くことはできないと考えた。どちらの命題もそれぞれに突き詰めていけば成り立ってしまうから。これってカントなりのスウェーデンボルグへの返答なんじゃないか、と本書を読んでいて思いついた。
この第3アンチノミーに代表される心脳問題は、脳科学の発展の中で解決されないままむしろ混迷の度合いを深めている。最近流行りの「脳中心主義」の科学啓蒙書なんかだと、脳のどこそこの機能はこうだからあなたはこう思うとか解説する。DNAの二重螺旋構造を発見したことで有名なフランシス・クリックは、心は脳に全部還元できちゃうとまで言っている。実際脳のどの部分が活動した時に、脳がどのような知覚をおこなっているかはかなり解明されている。ただし丸い図形を見て丸いボタンを押したとき、確かに丸を認識する脳の部位は活動しているが、三角の図形を“見まちがえて”丸のボタンを押したときも丸を認識する脳の部位は活動している。どちらの場合も脳の状態の変化と脳が感じた結果については間違いはない。問題となるのは外の世界との関係性である。
ここであえて脳還元主義の流儀にのっとって、世界の中のごく一部分を占めるに過ぎない物質としての脳が心を生むと考える。すると、心に知覚される世界全体も脳が生んでるの?という疑問が発生する。心が脳に還元されるというのはそういうことだ。世界に脳しか存在しないならそれでいいけど、そうじゃないなら自分の頭を鏡に映して「ここにオレの頭があって中に脳があって心がある、と思ってるオレの心を生み出してる脳はどこにある?」ということになる*1。どっちにせよパラドックスを生ずる。だからカントの第3アンチノミーはまだ生きている。
じゃあ心が優先的に存在するのか、と考える。心と脳の関係を、霊と肉体の関係に置き換えればスウェーデンボルグの言説もありえないことではない。霊という永遠に持続しつづける存在から心が発するなら、脳はただの知覚の為の器官だと言っちゃってもいいのかもしれない。永遠に持続するということは一度しか存在しないということで、こうした事象を自然法則は記述し得ない……と。まあスウェーデンボルグならざる身としては、死んでみなくちゃ判らないのだが。

*1:山村浩二氏の短編アニメーション「頭山」ではこの無限後退する入れ子構造のパラドックスを見事に映像化している。